早いもので、2006年に入社してから、4年が経ち、いわゆる中堅どころの5年目を迎えました。
色々悶々としてるとこもありつつ、内省してばかりだと好転する気配もないので、一旦書き出してから考えてみることにしてみました。
そんなわけで、自分の今までやってきたことをまずはソラでまとめ。
【2006年4月〜:1年目】
新人。
研修。
配属後は、粛々と開発(BSD/Apache/PostgreSQL/Perl)。
新規はナシで、ひたすら既存Sysの改修。
慣れてきたころに、バッチの開発(Perl)。
サーバルームの管理を手伝い。
なんだか一つSysを引き継がせてもらえるとのことで担当者の打合せに同席を開始。
前任者が突然異動になったSysを急遽追加で引き継ぐことに。
さらに機能追加の最中とのことで開発(Perl/PostgreSQL)も引き継ぎ。
設計書無し + スパゲッティ なこともあって、一先ずリバースしてから作り直し。
【2007年4月〜:2年目】
大きめの組織変更に乗じて所属チームが空中分解して、上司変更。
打合せに参加していただけで、あとは設計書の場所を教えてもらって、Sysを引き継ぎ。
これが全ての始まり。
まず、Sysを引き継いだだけでなく、じつは現行Sysのリニューアルに向けた新規開発のPJとそのメンバ(コンサル1名)を受け取っていた。
上司と相談し、自分とそのメンバだけだと開発着手できそうにないねということでPG1名追加。
メンバの成果物チェックと、引き継いだ現行Sys(某ドキュメントカンパニー社製PKGソフト+Perl/PostgreSQL+VBScript+テープ装置)の障害対応/要望対応に奔走。
新規開発PJが設計段階とのことで、SE1名増員。
メンバの成果物がさらに増え、成果物チェックと課題管理に汗だく。
(私事)そんな酷い状況だけど、プロポーズしてみる。
新規開発PJが開発段階とのことで、PG2名増員。(Java/OracleDB)
泣きそうに、いや泣きながら成果物チェックとコードレビューとテスト結果報告のチェック。
上司と相談。
すったもんだあって、PJメンバ総入れ替えで、PM/PL1名とSE2名が参画。
開発続行。なんとか開発完了。
そんな開発と並行して、他Sysの運用対応を緊急で申し受ける。委託社員の作業場所について対応。
リスク判断について、各方面と調整して対応完了。
ちなみに、この新規開発PJではシステム企画兼PL。
現行Sysでは、システム企画兼PL兼SE兼PG兼PKG保守サポート窓口。
【2008年4月〜:3年目】
リリース調整。
一時的に大幅増員もありバタバタしつつもカットオーバー。
落ち着く間もなく、同系統の新規Sys開発(Java/OracleDB)開始。PL1SE2PG1
(私事)入籍/挙式
追加で、SE1名。
設計書が少ないこともあり、引き継ぎに苦戦。
(私事)妊娠発覚
超短期間での新規開発も、なんとか完了/カットオーバー。
代償の設計書は、何故か自分が後付けで作成。
【2009年4月〜:4年目】
久々に開発着手。(Java/OracleDB)
その間、別Sysの新規開発の相談を受け、システム企画/設計/テストを担当。
(私事)2DKのマンション購入
(私事)長男誕生
現行Sysの保守切れが迫ってきたので、リプレースの企画をたてる。
コンペのとりまとめも担当。
この間、同系統Sysの機能追加のシステム企画/テストを担当。
ベンダ確定後、全ての事務作業もとりまとめ。見積/契約/稟議/支払。
すったもんだありつつも、要件/設計レビュー/受入を実施。
【2010年4月〜:5年目】
必死の思いで、妻が職場復帰する前にカットオーバー完了。
現在に至る。
上司は基本放任なので、ほぼ全て自分で調整。
記憶を振り返るだけでも、よくもまぁこれだけの経験とリソースでまわせたなぁと。
今までの記録を元にここの職務経歴をまとめるのはまた今度。
2 件のコメント:
もう少し、プロジェクト案件毎に、その案件がどういう内容で、メンバーは何人で、自分のポジションはなにで、工程としてはなにをしたのか、どんな技術(バージョン付きだとなお可)を使ったのかなど、表にまとめると良いと思います。そのあとに、そのプロジェクト案件における貢献度、苦労した点などをコメントをつけると見易くなるとおもいます。
みのさん コメントありがとうございます。
是非参考にさせていただきます。
イメージとしては、「まずは経歴を書き出そう 職務経歴書の作成フロー − @IT自分戦略研究所」を参考にまとめていこうと思っているところです。
また何かお気づきのことなどあれば、コメントいただけると幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
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